米沢道中日記 復活編 前田慶次 400年忌


                             by ひでおさま

その1 当日の境内の模様

 何年ぶりか・・ということも忘れてしまうくらい時が経っておりました。

 今回は、慶次が亡くなった(1611年から)400年という節目の年という事で米沢前田慶次の会が中心となって準備をされていたイベントに参加して参りました。 いつもの事とは言え、直前までバタバタしている中で掲示板の書き込みから、管理人のよーぜん様も米沢入りされる!との情報がありましたので6/4の命日には、せめて日帰り!でもと思い実に九年ぶりの再訪を致しました。
 前田慶次の会は、以前図書館館長をお勤めであった梅津様が会長でありますので、これまでの米沢道中に資料のコピーやご指導を頂き大変お世話になっておりました。こちらのHPへの公開前に私の撮影した慶次清水や月見平の写真鑑定を快くお引き受けくださったのも梅津様です。
 さて当日の堂森善光寺の境内は、予想を超えるすごい!!人出でありました。
イベントを盛り上げるのには十分な、記念グッズ物販のテントが並び数多くの限定品とされるアイテムがびっしりと所狭し状態で販売されておりました。
 中でも米沢郵便局発行の記念切手シートは80円切手が10枚で1.200円と所謂プレミア価格なのですが・・つい買ってしまいました。 他にも定番のタオルや手ぬぐい、Tシャツ、文具etcこの日の為に用意されたと思われる品々が次々と目に入ってきて、結構というか・・かなり品定めが大変でした。
 地酒で有名な東光さんも慶次のイラストを使った日本酒を当日限定で販売をされていましたが、なんと三本買うと一枚の絵が完成するという考えたパッケージと販売戦略でした。やはり中には三本まとめて買われた方も多かった?のかもしれません。ちなみに慶次は、かなりの酒豪であったとされています。
 さて、この画像の中に管理人のよーぜん様のお姿が見られますが・・敢えて矢印などは一付けないことに致します。(特に自主規制ではありませんので、念のため ^^;)



その2 社殿の賑わい

 私が以前、米沢に何度も出かけていた時には、慶次の供養塔には屋根すらなく雨ざらしの状態でしたが、最近の歴史ブームや戦国物ブームの影響か!? 立派な祠の中に供養塔は入れられていました。
 また堂森善光寺は、紫陽花の名所としても有名ですので見ごろの時期にも出かけたことがありまして、その際にも境内には市内や県内からの参拝者が途切れず10名程度は参拝客が見かけられていました(よろしければ紫陽花紀行編をご参照ください)
 ・・が、今回の400年忌では!それとは比べ物にならない程の人出でして社殿の周囲も人!人!人!で埋め尽くされていました。ちなみに紫陽花の満開の時期は平年ですと七月の初旬から中旬ですので、当日の6/4にはまだ花々も蕾でした。
 さて山門から社殿に歩いていく途中の左側には、最近建てられたらしい慶次やけいじろう等のおみやげグッズの販売コーナーも出来、定期的に歴史ファンや歴女の方が数多く訪れているようでした。 慶次グッズは、原哲夫先生の描かれた慶次やそれを参考にされたデザインが多く見受けられましたが、けいじろうの方は・・いわゆる、ひこにゃんブームの影響からか、かわいい系の動物をモチーフに書かれた「ゆるキャラ」でして、わんちゃんと慶次を足して2で割ったものでして、他にも茶髪で朱槍を持ち三頭身キャラ化?されているものまでありました。
 たれぱんだ ならぬ、たれけいじろう が無くて・・ひとあんしんした!ことは言うまでもありません。 
 なお、運がよい!?と米沢駅で新幹線に乗る前に、かねたん、おせんちゃん、けいじろう達の「ゆるキャラ戦隊?」のお見送りを受けられるそうで後でこのネタにも触れたいと思います。



その3  読経中の模様 壱
 

 境内は、数百人が雲ひとつ無い晴天の下、400年忌の読経に参列しておりました。
関係者席には、パイプ椅子が設置されており米沢市長、前田慶次の会、花の慶次の元担当編集者の堀江氏、格闘家の角田信朗氏らの来賓の方も列席をされていました。
 さて一般の参加者は・・。と言えば読経と焼香の順番待ちの時間ずっと炎天下立ったまま(これは、かなりツラいーー;)で小まめに水分を摂りつつ耐えておりました。よーぜん様 と ひでお も当然立ち通しで、せめて司会進行の途中で前列から順番にしゃがませる位の配慮が欲しかった!と感じ、熱中症やご気分が悪くなった方が出なかったのが不思議でありました。


その4  読経中の模様 弐 舞の奉納

 途中から奉納の舞も始まりました。突然!後列の方からお面を着けて現れ舞が始まったので、一般の方か?それとも始めから用意された演出か?そんなことも分からずに見守っていました。 これも説明のアナウンスがあってもよかったのでは?と素直にそう思いました。舞の意味とか演目名もシロウトには、なんのことやら!? ちょうど隣の建物内では宮坂考古館所蔵の慶次使用の能面が展示されていたので、それを着けた方が更に盛り上がったのでありましょう。
 できれば慶次の槍も使えたら更に良いかと・・。思いましたが、大勢の前では危険ですね。 舞の動きは、見ていても美しく報道関係者のカメラも集中しておりました。 ひでおが撮ったこの一枚は、舞の動きが読めず数枚の中から選らんだスナップです。 頼んでポーズを決めていただいたものでは、ございませんので念のため。



その5  慶次複製甲冑入魂式1

 境内での読経と焼香の後には、本堂内にてイベントにあわせて復刻された慶次の甲冑がまず関係者に披露され、堂森善光寺の住職様達による入魂式が行われていました。
 どんな経典が上げられていたのかは、不明ですが慶次の武勇伝を讃え謹んで魂にお移り頂くお経であったものと推察しました。
 さて写真は、周囲の邪魔にならないようにカメラマンのIDカードと梅津様から頂戴した御名刺を提示して、側面の入り口からフラッシュを使用せず撮影したものです。
 右に写っているのが、今回製作された甲冑ですが本物は宮坂考古館に所蔵され一般公開されています。 イベントにあわせて本物は別館の展示コーナーに槍先や原画などと一緒に出張公開されていました。



その6 慶次の甲冑入魂式 2

 入魂式に連座されていた関係者の方々です。厳粛且つ神妙な表情で読経に耳を傾けられた後、前列からの焼香と続きました。戦国武将としての慶次に傾倒、心酔、慕う著名人の方々が多数出席をされ恙無く終了しました。
 ちなみに今回の米沢入りで、よーぜん様 と ひでお が大変お世話になりました梅津様は、控えめに後ろの列の方にお座りでした。
 入魂式の続く中、ここでも熱心な慶次ファンの方々に本堂は取り囲まれており、中には炎天下の下にも関わらず本堂に向かいずっと黙祷している方も見受けられました。



その7 会場でのご挨拶の模様

 今回の400年忌供養際では、来賓の方のご挨拶でイベントが締め括られました。
 格闘家の角田さんの登場では、遠くから訪ていたファングループから大きな拍手が起こっていました。酉は、安部三十朗市長。 同氏は、これまでいろいろな行事が がなり今回が初参加ということをお詫びされ、その真摯なお人柄に暖かな拍手が寄せられていました。 
  ちなみに角田さんは、慶次の歌舞伎者Tシャツ。一方で市長は紋付き袴の装いで登場され、それぞれ個性が光る!装いで・・なかなかお似合いでした。


その8 慶次清水 壱

 はじめて訪れた時の慶次清水は、小川を頼りに探したものでしたが今では隣接の市民球場からの歩道が整備されています。水源は茶道の先生もお使いになられているそうで名水としても利用されていることが案内板に記されていました。
  訪れた方が、清水を試飲できるように竿付きの柄杓が用意されていて簡単に名水を楽しめるようになっています。草や水藻も清掃されており水面はまるで鏡面のようでした。 以前と変わらないのは古い石祠で、今でも風雪に耐えて置かれていました。祠の前に残っていたワンカップ酒のガラスカップが、前回ひでおのお供えしてきたものか?は、慶次に問うてみないと・・わかりません。




その9 慶次清水 弐

 角度を変えて撮影した清水の模様です。 湧き水を楽しみ、力水として元気を回復したところで、次は用意していたポリ袋に散見されたゴミ拾いしてきました。
 これも、ひでお的慶次への供養のつもりであります。さて意外と清水へ足を運ばれる方は少なく、のんびりとよーぜん様を、初慶次清水にご案内することができました。  




その10 月見平

 慶次が花鳥風月を楽しんだとされている 月見平 からの風景です。
堂森善光寺の墓地の上の中腹から頂上がその地にあたり、米沢の風景や夜にはお月見を楽しんでいたところです。
 以前は墓地からクライミングのようにかなりの傾斜を登る必要があり大変でしたが、米沢前田慶次の会の方たちがボンティアで、善光寺裏手からの登山道を整備され誰でも頂上まで登れるようになっていました。
 ・・が、炎天下の上り坂には正直堪えました(−−; 頂上からの下り坂の途中でも景観が楽しめる場所があるのですが、ちょうど大きな蜂が帰路に立ちふさがり、足止めを食ってしまいました。
 仕方なく数分の間、風景を眺めていて「久しぶりに米沢まで来られたのだから、そんなに急いで立ち去らずもう暫しこの景観を楽しんでいかれよ・・。」というイタズラ心!?を感じた気がしました。



その11 米沢牛肉まつり にも参加 壱

 前田慶次400年忌も恙無く終了し、さて東京に帰るだけ・・。と思い梅津様に当日のお礼の電話をしてみましたら「某川の河川敷で、ちょうど夕方より米沢牛肉まつりが行われているので、同じ桟敷にいらっしゃい」とのお誘いをいただきました。
 帰りの電車まではまだ時間がありましたので、有難くお申し出に甘えさせていただくことに致しました。 ・・・で、ただ参加するだけでは詰らないもので、ここでもネタになりそうなものを撮影して参りました。
 お祭りには、山形県にご縁のあるタレントさんの元アメリカ人英語教師の方やご当地が舞台となっていたドラマで有名な女優さん、そして市内の名士の方がご挨拶されていたり、上杉景勝、直江兼続、そして前田慶次等に扮した仮装武士の皆さんのアトラクション、民謡や上杉太鼓と続き盛り上がっていました。
 ・・で、本来の主賓の牛肉さまは・・この日のために昇天された二頭がバーベキューやすき焼き用のお肉となり(合掌−−;) 各テントの下で参加者により舌鼓を打たれておりました。写真は、お肉さまではなく・・アトラクションで太鼓を披露されていた関西前田慶次の会長様であらせられます。



その12 米沢牛肉まつり 弐

 お祭り会場には、ぬいぐるみの けいじろう、かねたん、おせんちゃん達も参加していましたが、猛暑のため早々にどこかに立ち去られてしまい撮影には間に合いませんでした。 で、この写真はアトラクション中の上杉公の他に仮装しておられた面々で、アトラクションの後には各テントを周られて記念写真にも応じていました。  してその正体は・・? 市役所の若手の方か観光協会、または市内の劇団関係者の方でありましょうや!?
 面々は上杉家一門や重臣に仮装された方なのですが、なぜか伊達政宗公もいらっしゃいました。 確か・・関が原の時期には、敵同士だったような?気も致します・・けど。




その13  上杉太鼓
 

 牛肉まつりでは、その演目の中で米沢の伝統芸能でもある上杉太鼓も披露されておりました。 実は、ひでおも見るのは今回が初めてでして間近に見てその迫力に驚きました。 実際に撮影のために近くにまで寄っていきますと、太鼓が打たれる度に耳の鼓膜に振動や衝撃が伝わってきました。 このような上杉家に伝わる歴史的な太鼓が、年配の方から若い方やお子さんに伝えられていくのは素晴らしいことです。


その14 前田慶次400回忌パンフレット

 米沢駅の観光案内所ASKで戴いたパンフレットの数々です。
これだけでも一部でして、堂森善光寺の会場テントの中でも更にいくつか見かけました。今回のイベントにかなりの時間と準備がかけられていたことが伺えました。はじめて米沢入りした際には、考えられなかった盛り上がりに感慨深いものがありました。
 けいじろう だけではなく、かねたん、おせんちゃん達、ゆるキャラの登場も米沢の観光振興に一役かっており、沢山のお土産グッズに発展していて目が移り困るほどでした。置賜図書館で、販売していた「前田慶次道中日記」と林泉寺の臨時テントで買い求めた「慶次笹野一刀彫」くらいしか見かけなかった以前とは隔世の感も・・です。
 そういえば、東京某所のゲームセンターでは、かねたん がクレーンゲームの景品になっていたこともありましたっけ。

その15  そして米沢を離れる時

 米沢駅前に掲示されていた看板です。米沢発着の列車に乗る際に運がよいと・・けいじろう達のお見送りやお出迎えを受けるサプライズに出会える?かもしれません。という案内です。
 東京や山形からの新幹線で降りて、歓迎されている!時にはあまり時間を気にしなくてもよいかも・・。と思います。が、見送りされている時に、つい?記念写真など仲良く撮っていて・・もし乗り遅れたりでもしたら・・タイヘンですので、ご注意を!!
 ちなみに、某ひこにゃんは、猛暑の中で倒れたそうなので暑さにはくれぐれも気をつけてくださいまし・・と、けいじろう達にエールを送ったところで、このコメントの締め括りとさせていただきます。


  (^−^/ 平成23年 夏の猛暑の東京にて   ひでお







       「それぞれの兼続紀行」

       
 


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