米沢道中日記

by ひでおさま

No.2

 

11回 実は、堂森月見平?も、慶次の史跡??
   
 さて、堂森での慶次に所縁の場所も・・これで全部!ではなかったのです。
m(- -)m
 慶次が月見をして?花鳥風月を楽しんだ場所「月見平」が堂森善光寺の左側の丘?(または小山)を、登ったところにあった という話が道中日記 資料編に紹介されていました。
 ここは米陽八景(米沢八景ではありません)のひとつにも数えられており堂森秋月の図という絵が残っているそうです。
 しかし・・慶次が堂森で過した時代に、月見を楽しむには良い、丘の平場であったようですが、現在の善光寺の左側は墓地として利用されていて、ここがもし?そうだとすれば?今では月の下に墓地が、見えるという条件で、なかなか勇気が必要な月見になりそうです。(^^:
 ちなみに今回は、前日からの雪と沢山の積もった落ち葉の為・・墓地の最上段までは、なんとか歩いて登ることができましたが、これ以上は道も見えず。
 足場も無く・・さすがに登るのは、無理でした(^^;多分、徳川幕府が寺請制度を始め仏教が葬式中心?になってから墓地になったの・・かも!?と個人的に推測して自転車を市街地に向けました。
   
第12回 市街へ
   
 これで堂森での慶次の史跡を訪ねるツアーは、ほんとに完了しました。そして、いよいよ市街にもどり「上杉神社」に向かいました。
 堂森から、米沢駅まで・・約30分(雪が残る道ですが)そこから、約20分で「上杉神社」まで何事も無く着いてしまいました。
 道路の上には、青い大きな標識も出ていますし堂森での時間のロスを挽回できるくらい!!楽に発見できました。
 ただ、自転車で来ている方は周りにひとりもいなかったので、気恥ずかしい気も・・しましたが(^^;
 やはり市街地だけの観光では、よねざーと号や観光バスで来られる方が、殆どのようです。
 確かに、自転車置き場等も無さそうで(??)仕方なく鷹山像近くの建物の裏に、一時停めさせていただきました。
   
第13回 厳粛に・・参拝(−−)
   
 「上杉神社」は、旧米沢城本丸の跡地にあり神殿は、上杉謙信公の人柄が偲ばれる、どちらかと言うと、派手も豪華さもない質素な印象でした。(拝観料は無料です。)
 心ばかりのお賽銭を謹んで奉納し、人影も疎らでしたので・・。厳粛且つゆっくりと、お願い事をしてみました。
 そしてお約束のおみくじを引きましたが結構!?当たっていましたので、謙信公のお言葉として素直に受けとめる事にしました。(参考までに、結果は中吉でした!)(^^;
 お土産には、上杉家16箇条の色紙と車用の交通安全祈願のステッカー、そして家内安全のお札を買い求めました。
 特にステッカーは、赤丸の中に「毘」の黒い一字のというデザインが、なかなかカッコ良い?と思っています。
   
第14回 宝物館へ
   
 上杉神社の向かって右隣にある「稽照殿」というの宝物館には、初代謙信公、2代 景勝公、十代 鷹山公 そして!兼続公の遺品、遺墨なとが展示されていますが・・。
 個人的に是非、目に焼き付けておきたかったのは、なんと言っても「愛 の前立」で有名な!!兼続公の兜でした。
 歴史関係の雑誌で写真しか見たことのなかった兜は、実際に自分の目で見てみると、戦国時代の武具というよりは美術品というべき手に込んだ作りになっていて、しばらく見入ってしまいました。
 しかし命がけの戦場で、あえて 愛 の字を前立に選んだ兼続公の武士としての精神は、やはり当時の他の武将達とはその器が違っていたのでしょう。
 太閤秀吉から、大名の家臣としては異例の30万石を拝領していただけでも、すごいことなのですが。豊臣政権の番頭格の石田三成の禄高と比べても約3倍という数字からもそれを窺い知ることができました。
 ・・と、ここで、いろいろ書いてしまうと林泉寺でのネタが・・無くなりそうですが(^^;
   
第15回 鷹山像
   
 宝物館の見学を済ませて、素通りできないのが10代藩主「鷹山公(治憲公)像」です。
 上杉神社の隣にある「松岬神社」に 2代 景勝公と共に、まつられていますが、今回は時間の関係で参拝が出来ませんでしたので、この鷹山公像に手を合わせてきました。
 有名な名句「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成さぬは人の なさぬなりけり」の文も、像の左側にありました。
   
第16回 林泉寺 の宗派は、曹洞宗
   
 鷹山公の像に手を合わせた後、直江公御夫妻の墓所がある「林泉寺」に向かいました。上杉神社から自転車で約20分程度で着き、ここでも移動時間の短縮が出来ました。
 さて「林泉寺」で、まず目にしたものは・・。
NHK大河ドラマに「文武兼備の大英傑直江兼続公」を推進する会の立てた青い幟でした。
 事実、NHK方面の関係者に対して運動をしているようで実現!すれば、素晴らしい!!と思いました。
 今年放送している「利家とまつ」にも話の展開上、少しは出てきて欲しいのですが(^^;
 ここを訪れて、うれしかったこと!を一つ挙げるなら宗派が、我が家と同じ曹洞宗あったことでした。
 同じ宗派ということで浄財と書かれてあった100円より少し多めにお布施を、させていただきました。(^^)
   
第17回 直江公墓所
   
 「林泉寺」の墓所を、右方向に入ったところに「直江兼続公の墓所」がありました。山形県指定文化財にもなっている旨の案内板があり、林泉寺の中でも特に規模の大きいものでした。
 ここでも直江公が上杉家の重臣の中で、別格であったことが伺えました。 直江公の墓石は、夫妻で左右1組になっており夫々に3ヵ所の穴が開けられていました。
 これは米沢が戦場になった場合、墓石を運び並べた状態で穴から鉄砲で敵を打つ!!一種のバリケードとして利用することまで考えられていたそうで・・びっくりしました!
 確かに、他の墓石にも格子状に穴が空いている型が目立つのは、このような実用上の理由があったのです。
 それだけ外様大名として、いつ戦場になってもおかしくない緊張感が、絶えずここ米沢にあったと言う事実が墓石の穴を見て、思い知らされました。
 ところで、直江公の墓石は左右のどちらだったのか?記されていなかったので(^^; どちらの墓前にも、手を合わせてきました。こんな新参者には、きっと墓参しても直江公のご加護は・・ありませんでしょう(−−i

 追伸、後日、三楽堂さまより 向かって左が直江公の墓石であると、ご指導いただきました。

   
第18回 慶次の墓所? 一花院跡へ
   
 直江公御夫妻の墓参を済ませ、最後の目的地「一花院跡」に向かいました。昨晩のチェックで、西蓮寺を目標にすれば近くまで行けることを確認していましたので、そこから例の慶次道中日記の付録地図を、使いましたが・・。
 地図上では、西蓮寺を過ぎ少し先に行った交差点から北に曲がった所にあるように見えたのですが・・。
 土地感の無い私は、ここでもそれらしい史跡を発見できず最後の目的地で、また時間を、ロスしてしまいました(^^; 仕方なく来た道を戻り1本1本北に入る路地まで調べ・・。「一花院跡」を見つけることが出来ました。(慶次清水の時とパターンが、似ている−−;)
 地図上では、同じ太さで書かれていて交差点と見えた通りは西蓮寺のすぐ横にある、車1台が通れるくらい!の狭い!路地だったのです。
 やっと辿りついた達成感(本人しか・・わからない^^)の中、「一花院跡」の門を写真に撮ろうとしたところ・・上記のような狭い路地の為、左右の門石を全て入れる撮影距離を取ることが困難で、前の民家に立ち入らないように気を使いました。
   
第19回 一花院跡で
   
 一花院跡は、米沢に来て初めて知った慶次の史跡でした。この場所を敢えて、今回の米沢行き最後の訪問地に選んだのはやはり、慶次の墓所があったらしい という一点に尽きました。
 ただ残念なことに、墓所があったらしい?と伝えられているだけで、それを裏付ける資料は、何も残っていないそうです。
 一説には「無苦庵」があった堂森に埋葬された?という話もありますし、前田利長により大和刈布に蟄居させられて没したという別の説もあるそうです。
 個人的には、前田家より出奔した慶次が、米沢から帰参するとは、思えないので・・やはり「一花院」にしろ堂森のどちらにしても、米沢で眠っていると思いたいのですが・・。
 「一花院跡」の入口にある説明板には、慶次の墓所であったという記載はなく、虚空蔵菩薩と、那須与一、そして千坂景親(那須与一は、千坂家の遠祖)の供養塔があることだけが記されていました。
 正面左には、マンションが建設されていて史跡としては7つ程並んだ供養塔や墓石らしき列が、廃寺となった跡をわずかに示しています。
   
第20回 米沢駅へ
   
 一花院跡での写真撮影を終え、やっと!!肩の荷を下ろして一安心していた矢先、ふと時計を見ると・・。
 帰りの山形新幹線の時間まで・・余裕がありませんでした。幸い雪は止んでおり、天気も回復していましたので残った力を振り絞り(**)自転車を飛ばして!米沢駅に帰り着いたのは発車の約10分前だったのです。(−−#
 そんな切羽詰った中、自転車を返した時にレンタル利用時間が過ぎていたのですが・・ご親切にも超過時間分の料金はサービスして下さいました。(^^)ほんとに感謝!!
 そんな親切に、ちゃんとしたお礼も言えない内に、残り時間は、残り5分に迫り・・。今回買ったお土産らしい?もの・・米沢ラーメンを、キオスクで買いました。
 もちろん上杉家関係や慶次関係のものは、前述のとおり!?しっかり目にした時に、買いあさっておりましたが・・。

 そして無事!?に駅の改札を入ると、既に新幹線が入線していました。
 後でわかった事ですが、指定席は全席売り切れ!!で、もし乗り遅れていれば東京に着くまで、立ちっぱなしになっていたのでした。(^^;
 今回の米沢行きでは、いろいろ道中でのパプニング等もありましたが、なんとか予定の史跡を全て回ることが出来、帰りの新幹線にも間に合い、レンタサイクルの超過料金までサービスしてもらえたのは、何かの御加護があったのかも!?と個人的に納得してしまいました。

 文末になりましたが、今回の米沢道中に関しまして出発前にアドバイスいただきました方、米沢にてお世話になりました方そして・・このような雑文と素人写真をHPに・・とのお話をいただきました よーぜん さまに、深く感謝申し上げます。

   
番外
   
 結局、日曜日は、お昼ご飯抜き!!でして朝食以外で(^^; 夕食までに口にしたものは、気がつけば・・慶次清水の涌き水だけ・・だったのでした。(^^)
  
   
問題外?
   
 でも・・次の機会には、米沢図書館にある史料を見に(^^) 行きたいと・・懲りずに思っていたりします。

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