≪北陸編≫松任・美川(石川県松任市・美川町)
■手取川古戦場■ | |
手取川遠景 戦の折、暴れ川となって敵の骸を飲み込んだ手取川も、今はその面影は微塵もない。 |
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加賀の一向一揆勢と和睦した謙信は1577年(天正5年)9月15日七尾城を落とし、続いて17日末森城も占拠した。 ついで松任城に入り、長一族の首50あまりを倉部浜に並べて織田軍と対峙した。 これを迎えうつのは、柴田勝家を総大将とした、滝川一益、羽柴秀吉(ただし秀吉は早々に戦線離脱)、前田利家、佐々成政ら、織田軍団の精鋭。彼らは手取川を背に上杉軍と対峙。だが、七尾城陥落を知った織田軍は、23日、夜陰に乗じて撤退を敢行。折からの雨で増水した手取川が、逃げる織田軍の行く手を阻み、上杉軍の追撃を受け、織田軍は敗北を喫する。この時上杉軍は1000余人を討ち取り、残党をことごとく討ち取ったという。 「(信長は)案外に手弱之体、此分ニ候者、向後天下迄之仕合心安候」と豪語した謙信であったが、翌天正6年3月13日、49年の生涯を閉じることになろうとは、夢にも思わぬことであっただろう。 この戦に若き日の兼続の姿があったかどうか・・・ |
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手取川河畔の呉竹文庫駐車場の脇に立つ「上杉織田手取川の戦 遠望の地」の石碑 「上杉に逢うては織田も名取川 はねる謙信 逃ぐるとぶ長」 の狂歌が刻まれている。 >>呉竹文庫 石川県美川町湊町 |
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松任城址本丸跡の碑 手取川の戦いの折上杉軍が拠点とした松任城址。現在は「おかりや」と呼ばれ、市民の憩いの公園として開放されている。 |