春日山城廻り


春日山城址近景


何度見てもワクワクするのはどうしてでしょうか・・・



謙信の銅像

春日山の入り口(といいますか、駐車場のあるところを勝手に入り口と呼んでいるわけですが。)に建つ謙信の銅像。現在も、春日山城から越後一国を見晴るかしています。



春日山神社

謙信の像から向かって右に進んだところにある神社。祭神は上杉謙信。
旧高田藩士の小川澄晴(童話作家小川未明の父)が浄財を募って建立した。

春日山城址のふもとの春日神社は越後守護上杉氏の氏神で、春日山城築城の時、鬼門神として山頂から遷座したと伝えられる。

まずはこの神社に参拝。



空掘

千貫門(春日山城の古絵図に必ず描かれている、古くからあった門)の内側に続く部分に残る空掘跡。
門から侵入した敵を沢に落とすように仕組まれたものという。

案内板に「(注}危険です。奥に入らないで下さい。」と、そこだけ朱書きで注意書きが記されていました。今も何か「仕掛け」が残っているのだろうか・・・?



直江屋敷

千貫門から少し登って虎口を行くと、いよいよ直江屋敷です。碑には「直江山城守宅址」とありますが、兼続だけでなく、直江大和守実綱(景綱)信綱もここに住んでいたわけです。
春日山城址でもっともドキドキする場所です。



本丸

謙信が出陣前に策を練ったり祈りを捧げたりしたと伝えられる毘沙門堂跡や諏訪堂跡、護摩堂跡などを経て、頂上の本丸跡へ。

越後府中と周辺の山々、日本海が一望できます。

高速道路の喧騒がここまで伝わってくるのには、少々興がそがれますが…


本丸跡から日本海側を臨む。
写真ではかすんでいますが、遠方に、佐渡島らしき島影も見えました。



大井戸

本丸から、山の反対側を少し下ったところに井戸曲輪があります。どんな渇水でも涸れたことのないという大井戸は、今も満々と水を湛えているそうです。

どのようにして水が湧く位置を調べたかは定かではないそうですが、涸れることのない井戸を持っていたということは、いざというときの頼みにもなったでしょうし、御館の乱でいち早く景勝方が実城を押さえたのも、水源の確保ということがあったのかもしれません。




景勝屋敷

越後府中から見ると山の反対側に景勝屋敷跡はあります。
城跡めぐりをしていても、主要コースからはずれた場所にぽつんとあるといいますか・・・(^^;)

屋敷の場所からして「寡黙な主」を体現しているようでもありました。



柿崎和泉守屋敷

柿崎景家(?〜天正2)は柿崎城(新潟県中頚城郡柿崎町)を根拠地に、謙信の奉行職を務めた人物。

広々と視界が開け、春日山城でももっとも大きな郭の一つだそうです。
植生から水分を多量に含む土地であったようで、池あるいは水堀がこの地にあったことが考えられるという。池であったとすれば、城内で唯一庭園を併せ持った郭であったと想像できるとのことです。
現在の景観からはなかなか想像しにくいですが、往時の景観に思いを馳せるのもまた一興でしょう。



三の丸

【土塁】

春日山城でもっとも良好な状態で残る土塁の跡。
ここは「米蔵跡」とも呼ばれ、城機能の中核施設が置かれた場所であったということです。


【上杉三郎景虎屋敷】

三郎景虎は小田原城主北条氏康の子で、人質として春日山城に来ており、この三の丸を住居としていました。
御館の乱の結末はここに記すまでもありませんね。

某小説の影響か、説明板によると「近年、春日山城でもっとも賑わいを見せている郭の一つ」だそうです(゜_゜)


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