Vol.7 安宅関・弁慶謝罪の地
■安宅関■
安宅住吉神社内にある「安宅関」の碑 | |||
謡曲『安宅』、歌舞伎『勧進帳』でおなじみの安宅関です。ストーリーは今更言うまでもないと思いますが、あらすじを簡単に。
さて、謡曲や歌舞伎でおなじみの安宅関ですが、実は『義経記』などには「安宅の渡し」とあり、「安宅関」とは出てきません。 また、義経を敬愛していたとされる松尾芭蕉は、『奥の細道』の旅で、加賀にやってきますが、「安宅関」に立ち寄ったことは記載されておらず、芭蕉の時代には、「安宅関」はまだなかったようです。 18〜19世紀の加賀の地誌(富田景周『三州記』など)にようやく「安宅関」の記載が見られ、天保11年(1840)3月河原崎座で初演された『勧進帳』によって「安宅関」の名は全国的に広まったようです。 また、弁慶が義経を打ち据えた話は『義経記』では越中の如意の渡し(現富山県高岡市)でのこととして記載されています。 この話に登場する関守の富樫某ですが、富樫氏は現在の野々市町を本拠とする加賀の有力武士で、源平合戦では、林氏ら、同じ加賀在住の武士らと共に木曽義仲に強力します。 なぜ、野々市の武士が現小松市の安宅の関所の関守として登場するのか。そこには謡曲『安宅』の成立当時(15世紀半ばごろ)の渾沌とした政治状況が大きく絡んでいるようです。 |
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安宅住吉神社 |
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偽の「勧進帳」を読み上げる弁慶の像。安宅住吉神社境内にある。 |
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【アクセス】小松市安宅町 JR小松駅よりバスあり(北鉄バス長崎・安宅漁協行き「関所前」下車 徒歩5分) 北陸自動車道小松ICより約5分 駐車場有 関連サイト 勧進帳の里 安宅の関 |
■弁慶謝罪の地■
弁慶の機転で、関所を通過した義経一行でしたが、関守の厳しい追及をかわすためとはいえ、主君を打擲したことを謝罪します。 それに対し義経は、弁慶の機転がなかったら、皆捕まっていたであろうと弁慶の機転を讃えたのでした。普段は涙を見せたことのない弁慶も、このときばかりは涙を流し、非礼を詫びたということです。 |
【アクセス】能美市道林町(道林寺跡) 公民館前に写真の銅像があります。 |