兼続の漢詩

「春雁」
「洛中之作」

 





 

 


前半二句を欠いているが、兼続の漢詩の中では最も有名なもの。
作詩時期は不明。


北に帰る雁に、自分の境遇を重ねている。

花を待たずに北へ帰る雁と、都の華やかな花の季節に背を向けて、北へ向かう自身と。

ここでいう「花」とは、具象物としての「花」を言っているばかりでなく、都における全ての「華やかなもの」(政治だとか都の文化だとか)を指しているような気がする。

そうしたあらゆる「花」に背を向けて北へ向かわんとする…「背」の一字に、一つの堅い決意を感じる。


堅い決意を持って、兼続が北へ向かった時期とは…?

米沢移封の時かとも思ったが、残念ながら、彼が米沢に赴いたのは、冬11月。

もう一つ、上杉家および兼続の大きな転換期は、秀吉による会津移封。主君景勝は120万石の大大名に封じられたとはいえ、生まれ故郷を離れて新天地へ赴いたのだ。しかも、この時会津へ赴くべく都を発ったのは春3月。あるいはこの時の作だろうか。

 

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1619年、主人景勝に伴い、上洛した時の作。

このわずか3ヶ月の後に兼続はこの世を去る。


琴も瑟もない静謐な空間。月の光だけがあたりを深々と包み込む。感覚だけが研ぎ澄まされて…


「琴」も「瑟」も楽器の琴で、「瑟(しつ)」は「琴」の大型の物。「琴瑟」とは、夫婦の仲のよいことのたとえであるという。

あるいはこのとき兼続は長年連れ添った妻おせんのことを静かに思い出していたのかもしれない。


最期の句には天を、人間を、包み込む、大いなるものの存在が感じられ、波瀾万丈の生を生きた兼続の最期を飾るにふさわしい詩であると思う。

 

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